【コラム】(プロファイバンカーの視座)第5回 集団と個人

2018.06.14 連載コラム

ナレッジパートナー:井上 義明


外資系金融機関に勤務していた時に社内の研修会に参加したことがある。研修会と言っても、日本企業のそれとは全く雰囲気の異なる研修会で、講師の話を一方通行で聞くだけというような座学ではない。グループワークの手法などを多用してチームワークの精神を滋養するものである。その研修会を通じて強調されていたのは専らチームワークの重要性。チームワークの重要性を様々な角度から再認識させるものである。

日本の銀行に20年余の勤務経験のあった筆者から見ると、「何をいまさら」と思った。しかし、この研修会が存在する理由は深い。それは従業員のほとんどが欧米人ならびに欧米人の価値観を持った人たちだからである。彼らは「集団」より「個人」を重視する傾向が強い。従って、チームワークの精神を意識的に滋養する必要があるのである。

片や我々の日本はどうだろうか。
生まれつき茶色の髪の毛を持つ高校生が学校の校則で黒色に染めるよう要請された。親も学校に掛け合ったが、「校則」を盾に生来の茶色の髪の毛のままでは登校を認められなかった。仮に両親のいずれかが外国人のため金髪の高校生がいたとしたら、この学校はやはり髪の毛を黒色に染めるように要請するのだろうか。

ある野球の試合で監督からバントの指示が出ていた。しかし、打席に立った高校生は甘い球が来るのを見て、とっさに自らの判断で思い切ってバットを振った。これが見事二塁打となり決勝点を上げた。しかし、試合後この高校生は監督から呼び出され叱責を受けた。「チームの約束を破り、和を乱した」と。

アメリカンフットボール部の大学生が監督やコーチに「相手選手を潰せ」と再三指示を受け、試合で反則のタックルをして相手選手に怪我を負わせた。20歳の学生は後日ひとりで記者会見に臨み、監督やコーチからの指示があったと明言し、そういう不当な指示に従ってしまった自分の弱さを悔いた。

我々日本人の考え方は、「集団」と「個人」という価値観を仮に一線上の左と右に並べて置くと、「集団」の方にかなり傾いている。一方、欧米人の考え方は、明らかに「個人」の方に傾いている。従って、欧米人の多い組織では、冒頭のような研修会等を通じてチームワークの重要性、つまり「集団」で仕事をすることの重要性を認識させるよう努めなければならない。「個人」の方に傾いている軸を少し「集団」の方に調整しようとしているわけである。そうはいっても、「個人」が中心であるという考え方は公私ともに厳然と存在している。最終的には「個人」が判断するのだという「個人」中心の考え方は否定していない。

我々日本人の考え方は「集団」の方に大いに傾いている。しかしながら、これを「個人」の方に傾きを調整しようとする動きや努力はあまり奨励されていない。生まれつき茶色の髪の高校生の例も、監督のバントの指示に違反した高校生の例も、反則タックルの大学生の例も、「集団」がまず先に在り「個人」は後回しである。

「集団」と「個人」のどちらに重きを置くべきか。この問いに正解があるわけではない。歴史や文化の影響もあろう。しかし、「集団」の価値観に重きを置き過ぎると、多様性はなくなり、自発性は減退し、正否の判断を誤り、果てはイノベーションが起こらなくなり、個人も社会も徐々に衰退してゆくということになりはしないか。

プロジェクトファイナンス研究所
代表 井上義明

*アイキャッチ Photo by Jezael Melgoza on Unsplash

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