【コラム】(プロファイバンカーの視座)第9回 忍び寄る収用(creeping expropriation)

2018.08.09 連載コラム

ナレッジパートナー:井上 義明


ロシアの国営石油会社ロスネフチが先月(7月)サハリン州仲裁裁判所に訴訟を起こした。相手は石油生産プロジェクト「サハリン1」の共同事業者である。訴訟理由はサハリン1プロジェクトが「不当な利益」を得ているためだと報道されている。一説には、サハリン1が石油生産している油田の隣接地にロスネフチ所有の油田があり、ロスネフチはサハリン1がロスネフチ所有の油田の一画からも石油を採掘していると疑っているからだ、とも言われている。もっとも、ロスネフチは一切コメントを発していないので真相がよく分からない。ロスネフチの請求額は890億ルーブルで、日本円で約1,600億円にも及ぶ。

訴えられている「サハリン1」の共同事業者とは、米国エクソンモービル(事業権益30%兼オペレーター)、日本企業の連合体であるサハリン石油ガス開発(通称SODECO、同30%)、インドの国営石油会社(同20%)、ロスネフチ(同20%)。日本企業連合体SODECOは商社の伊藤忠商事や丸紅が出資するほか独立行政法人JOGMECも出資している。サハリン1プロジェクトは2006年に操業を開始し、現在日量約20万バレルの原油を生産している。日量20万バレルの原油を生産・販売しているということは、原油価格バレル70米ドルで試算するとおおよそ年商5千億円規模の事業である。そして、ロシアでは唯一国際企業によって運営されている主要石油プロジェクトである。

この報道で思い出されるのは「サハリン2」LNGプロジェクトである。サハリン2LNGプロジェクトは当初外国企業だけで事業権益が保有されていた。ロイヤルダッチシェル(55%)を筆頭に日本の商社2社、三井物産(25%)と三菱商事(20%)である。ところが、2006年の暮れにロシアの国営ガス会社ガスプロムがサハリン2LNGプロジェクトの事業権益50%の取得を果たす。これにより、外国企業3社の事業権益保有率はそれぞれ半減する。対価は支払われたものの、その水準は必要十分ではなかったと言われている。

そもそも、ガスプロムがサハリン2LNGプロジェクトの事業権益50%の取得を果たすまでの経緯は、甚だ奇妙であった。2006年9月ロシア側から「サハリン2LNGプロジェクトは国内の環境法に違反している。事業許可を取り消す。」などの報道が出た。まさに晴天の霹靂である。当事者もそう感じたであろうと推察するし、部外者でもそう思った。石油メジャーと日本の二大商社が推進している事業である。国内環境法違反が起こるとは意外である。現場で法令の解釈を誤ったか、あるいは最新の法令改正を見落としていたか、などの初歩的なミスが原因かと思われた。そうであれば、対策は難しくはない。事態は早々に収束する。

ところが、事態は全く別な方向に進む。年末にガスプロムがサハリン2LNGプロジェクトの事業権益50%の取得を発表して、幕を閉じる。「環境法違反の件は何処へ行ったのか」と多くの人が思った。

ホスト国政府が税法や環境法などの国内法の違反を口実に外国資本の事業者に圧力をかける。そして、最終的には外国資本事業者の事業権益を無償もしくは安価に取得する。これを「忍び寄る収用(creeping expropriation)」という。南米のベネズエラではチャベス政権時代(2007年)に石油メジャーが保有する重油改質プロジェクトの事業権益を一方的に宣言して奪ったが、こういう収用のやり方はかなり乱暴で、前時代的である。新興国での国有化、接収、収用などでむしろ今注意を要するのは、ホスト国政府が国内法違反などを口実に外国資本の事業者に圧力をかけ、一見合法的な取引を装って、事業権益の譲渡を余儀なくされることである。この「忍び寄る収用」は、新興国の資源案件にとどまらずインフラ案件全般でも起こり得る。天災のように、忘れた頃にやって来るものである。

プロジェクトファイナンス研究所
代表 井上義明

*アイキャッチ Photo by Alexander Smagin on Unsplash 

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