【コラム】(プロファイバンカーの視座)第6回 融資実行条件

2018.06.28 連載コラム

ナレッジパートナー:井上 義明


某金融機関で過日プロジェクトファイナンスの融資契約書の雛形の作成に取り組んでいた。その作業過程で弁護士から助言があった。「融資実行条件に予想DSCRの数値基準を加えた方が良い」。こういう助言を受けて金融機関の関係者は思案した。

まず融資実行条件とはなにか。英語ではConditions Precedent to Drawdownという。最初の二語Conditions Precedentとだけ言うことも多く、さらに同二語の頭文字を取ってCP(シーピー)ともいう。プロジェクトファイナンスで調達する資金は通常製造工場やプラント等の建造物の建設資金に充当される。製造工場やプラント等の建造物が事業の中核設備となる。建設の進捗と共に建設代金の支払いが行われる。従って、融資契約書上の融資金額は一度に実行するわけではない。建設代金の支払いに合わせて何回も分割して融資金の実行は行われる。この融資金の実行の都度、充足していなければならない条件のことを融資実行条件という。

次にDSCR(ディー・エス・シー・アール)であるが、これはDebt Service Coverage Ratioの略称である。Debt Service Coverage Ratioは、事業から生まれるキャッシュフロー(厳密にはdebt serviceつまり元利返済金に充当できるキャッシュフローのことで、英語ではCash flow available for debt serviceという)を元利返済金で除した数値である。1.50や1.75のように表記する。少数第二位まで表示するのが慣習のようである。

そもそも融資実行条件はなんのためにあるのか。それは、この条件が充足されていなかったらレンダーは融資金の実行を拒むことができるので、レンダーの立場を守るためにある。

さて、ここで冒頭の弁護士の助言を考えてみる。融資実行条件に予想DSCRの数値基準を加えるということは、仮に予想DSCRの数値が基準を下回るような事態が発生したら、レンダーは融資金の実行を停止できるということである。金融機関の関係者が思案した理由は、融資実行条件に予想DSCRの数値基準が入っているような例は標準的なのかどうかと思ったからである。筆者の経験からは、融資実行条件に予想DSCRの数値基準が入っている例は標準的ではないと思われる。

なぜ融資実行条件に予想DSCRの数値基準が存在しない方が標準的なのであろうか。
プロジェクトファイナンスでは融資を承認する前に、レンダーが十分なデュ-・ディリジャンス(due diligence)を行う。事業の収益性あるいはキャッシュフロー創出力についても同様である。融資実行条件に予想DSCRの数値基準を設けるということは、事業の中核設備の建設期間中(つまり融資の分割実行期間中)に、事業の収益性あるいはキャッシュフロー創出力の見通しに大幅な変更が起こり得ることを懸念しての処置だと解釈できる。融資を承認してわずか数年で、事業の収益性あるいはキャッシュフロー創出力の見通しに大幅な変更が起こり得るということを懸念するのは、そもそもレンダーの行うデュ-・ディリジャンスが不十分だということになりやしないか。言い方を変えると、当初レンダーが念入りなデュ-・ディリジャンスを行っていれば、わずか数年後に事業の収益性あるいはキャッシュフロー創出力の見通しに大幅な変更は起こらないのではないか。従って、融資実行条件に予想DSCRの数値基準を設ける必要はないのではないか。

それから、もうひとつ実務的に留意しなければならない点がある。それは、予想DSCRの数値が低下したからといって融資金の実行を途中で停止すると、製造工場やプラント等の建設は中断してしまい建造物は完工しないという点である。建造物が完成しなければ操業は開始できない。操業が開始できなければ、事業収入は生まれないので、それまでに実行した融資金の回収は目処が立たなくなる。

最後に実例を見ておこう。2011年から2014年夏まで石油価格はバレル100米ドル前後で推移した。そのため、石油・ガス関連の新規投資事業が多く投資決定された。大型のLNG新規事業もその例である。しかし、2014年後半以降石油価格は40米ドル以下になるなど低迷した(現在は70米ドル近くまで回復している)。低迷した石油価格を基に予想DSCRを計算したら、数値はかなり低下していたかもしれない。しかし、大型LNG事業のプロジェクトファイナンスレンダーは融資金の実行を停止したいと考えたことは一度もない。

それはなぜかというと、LNG事業の例では石油価格の変動リスクはそもそも当初から織り込み済みだからである。既に指摘した通り、プロジェクトファイナンスレンダーは事業の収益性も含めた十分なデュ-・ディリジャンスを行っているからである。

プロジェクトファイナンス研究所
代表 井上義明

*アイキャッチ Photo by Mike Enerio on Unsplash

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